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静御前について

投稿日: 2011年5月24日 作成者:

本日は、静御前についてご紹介をさせていただきます。

ここ網野町は、静御前生誕の地です。

網野町磯で褝師の娘として生を受けた静御前は、6歳で父を亡くし、そのまま母とともに京都へ上京し、巧みな舞と美しさで指折りの白拍子に成長します。

その後、静御前は、源義経(幼名:牛若丸)に舞姿を見そめられ、側室となり男の子を産みます(静18歳、義経27歳の時)。

義経は、壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした後、兄「源頼朝」に吉野に追われ、義経と静御前の子供は頼朝により生まれたその日に殺されてしまいます。

わが子を失った静御前は、禅尼となった母と共に、故郷の網野町磯に戻り、生家跡に小さな庵を造り、この丹後の地から、義経の無事と愛児の冥福を生涯祈り続けたとされています。

網野町磯には、静御前と義経にまつわる岩があり、船出をする義経が磯の村人から心づくしの弁当を手渡されたとされる「弁当岩」や、義経を乗せた船が水平線の彼方に隠れるまで、静御前が見送ったとされる「泣き別れ岩」。またの名を「涙岩」などがあります。

英雄「義経」の傍らで波乱の人生へと巻き込まれ、悲劇的な人生を送った静御前。

静御前を祭る神社が残る網野町へ、ぜひお越しください。

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